ここから本文
朝倉氏遺跡 [19]町屋群 写真と説明
最終更新日 : 2009年2月1日
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||||











![史跡スポット[一覧]](./spot19_d/img/011.jpg)
![その他の散策スポット[一覧]](./spot19_d/img/004.jpg)











西の山側には、土塀で囲まれ、門を開く大規模な屋敷が整然と見られるのに対して、東には、小さな建物が連続して道路に接して見られます。最初には、ここも、大規模な屋敷であったようですが、後半になって、今みられるように小さく分割されたことが確かめられています。この一乗谷では、こうした小規模な屋敷は、谷を貫く道路を中心に、数多く発見されており、それらの中には、出土する特殊な遺物から、染物師、鍛冶師、檜物師、数珠師などが住んでいたことが確かめられます。こうしたことから、これらの小規模な屋敷は、町を構成する庶民としての職人や商人の住まいと考えられています。しかし、まだ、刀狩りも実施されておらず、下級武士と農民や職人、商人等の身分は、はっきりとは分かれていませんので、朝倉氏等との主従関係を持ち、いざ、戦となれば、戦場に出かけた人々が多かったと考えられています。
もう一つは、東西方向の道路に面したもので、屋敷の境が必ずしもはっきりとはしていないものです。建物は、「平入り」と呼ばれる建て方で、軒が連続するように続いており、中には井戸や便所を欠くものもあります。


