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最終更新日:2009年1月17日

横井小楠、三岡八郎像


横井小楠、三岡八郎像

所在地:福井県福井市大手2丁目10(内堀公園内)

三岡八郎[由利公正](1829から1909) 【左】

幕末の福井藩士。若くして藩財政に興味を抱き独力で5年間にわたる調査を実施した。幕末四賢公の一人として称えられる福井藩主松平春嶽に抜擢され藩政改革を進め、横井小楠が福井に招かれると小楠の理論を実践し藩財政の立て直しに成功した。坂本龍馬と親交が深く、慶応3年(1867)龍馬が福井を訪れた目的の一つは、八郎の新政府への参画を促すことであった。
新政府では財政面の責任をにない、また五箇条誓文の原案を起草したことは有名である。明治4年(1871)、東京府知事となり、東京の近代化に尽力した。

横井小楠(1809から1869) 【右】

熊本藩士。幕末期の最も進歩的な思想家の一人であり、勝海舟、坂本龍馬なども一目置く存在だった。 福井藩主松平春嶽は小楠の実力を見抜き、彼の派遣を熊本藩に要請した。この英断により安政5年(1858)小楠は福井藩の政治顧問に招かれ、三岡八郎等を指導し、藩政改革にその思想を反映させた。文久2年(1862)春嶽が幕末の先頭に立つ役職である政治総裁職に就任すると、そのブレーンとして国政に大きく関与した。
文久3年(1863)福井藩を辞去し熊本に帰国。大政奉還後に新政府に招かれたが、明治2年(1869)京都で暗殺された。

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