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最終更新日:2012年4月1日

【おさごえ民家園】旧梅田家住宅


《福井市指定文化財》

建築年代:天保から弘化年間(1830から1858)
旧所在地:福井市浄教寺町
この住宅は、梅田九則(うめだくのり)氏から福井市が譲り受け、昭和55年に解体し、同58年に移築、復原したものです。
百姓のかたわら、漆掻き(うるしかき)の頭として、遠く関東にまで出かけて財を蓄えていた九左衛門は、火災で家を失ったのを機会に、永く子孫に伝えることのできる立派な家を造ることにしました。
天宝8年(1837)の「火事見舞覚帳」の表紙が残っていて、この住宅が建築されたのは、それからしばらく後のことであると推測されます。
永平寺門前の大工である大塚杢左衛門(おおつかもくざえもん)に依頼して、この住宅を新築しました。材料はじっくり時間をかけ、特に吟味して選んだものを用いて造りました。

真宗王国と呼ばれる嶺北(れいほく)地方の民家では、仏壇や仏間が特に大切に扱われています。報恩講など大勢の人が集まる時のためにおいえにわが一体となった大空間が主屋の前半にあり、奥に仏間や納戸、座敷などを配する間取りは、福井県嶺北地方中央部に分布する民家形式の典型的なものです。

にわは籾摺りや藁(わら)など、屋内作業の場として使われましたが、奥に板縁(いたえん)を張り、うまやの背後をおとこべやとするなどして縮小していました。

なんどは主人夫婦の寝室であるとともに、衣類などの家財を納める場所でもありました。

日常的な接客は、おいえのいろりの回りで行われていました。いろりは日常生活の中心で、その回りの席は厳しく定められていました。

つのやとしておいえにわを拡張するのも、この地方の上層民家に多く見られる形式で、地位や格式の表現手段でした。重要文化財の木下家住宅(勝山市)は同形式民間のうち、左右両方につのやをもつ数少ない残存例です。また、大野市宝慶寺(ほうきょうじ)にある重要文化財の橋本家住宅は同形式の民家のうち、奥越地方の山間部に分布する平入りの例で、この形式の基本的な姿を示しています。

旧梅田家外観

旧梅田家立面図

旧梅田家おいえとにわの梁

お問い合わせ先

教育委員会事務局 おさごえ民家園
ファクス番号 0776-34-3794
〒918-8011 福井市月見5丁目4番48号 【GoogleMap】
業務時間 8時30分から17時15分 【開園時間】9時から17時15分(入園は16時45分まで) 【休館日】月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(但し、翌日が土・日曜日の場合は開園)、年末年始(12月28日から1月4日)

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