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最終更新日:2020年11月19日

福井豪雨に関する情報アーカイブ


福井豪雨に関する情報アーカイブ

福井豪雨に関する写真

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平成十六年7月18日 「雨の日、ウラは」まるごとアーカイブ

福井豪雨の日やその後の体験について残しておきたい記憶を集めました。

  • 午前5時:@美山町#今までに見たこともないような雨

美山町の自宅で目が覚めると、外は今までにないような雨の降り方でした。市の消防団員として、地区の警戒に出動しました。川の水は短時間に増水し、土石流も発生。以後、団員として住民の避難誘導等の活動に従事しました。

  • 朝:@西袋町#家族は見回りに、テレビで情報を確認

朝起きたときには予定通り寄合に参加するつもりでいましたが、8時くらいから開催があやぶまれはじめました。家族は地区の見回りにでかけ、テレビで情報を確認していました。家の前に水が上がってきたので、車を高台に動かしました。蔵に水が入りました。家は床下浸水しました。昼には水がひいたと思います。

  • 前日夜:@生部町#夜じゅう石が落ちて転がる音がした。

生部には江端川の支流が流れています。川は流れてきた石や木でふさがり、水が流れなくなったので道路が川のようになりました。夜中じゅう石が落ちて転がるごろごろという音がしていて、怖くて眠れませんでした。朝7時に危険だから避難しようと思ったのですが、そのとき消防団員は美山にいってしまっていて残っていませんでした。一乗谷の状況は報道されていて救援もたくさんはいったのに、同じような状態の生部にはだれも来てくれませんでした。そこで数日後福井新聞に取材にきてもらいました。自衛隊は東大味に駐留したのに、一乗谷に山越えてはいるだけでこちらにはきませんでした。

  • 昼前:@東郷地区#気がついたら車が水没した

時期的に農業用水の水をせき止めていたが、それをやめた。見ている間に農業用水からあふれていき道路などあたり一面30cm冠水した。祖父は川の見回りにいった。消防車の回る音が聞こえていた気がする。避難しようとは思わなかったが、気がついたら車も水没し、離れに水が入り、床下浸水した。床下ですんだので、後日いわれた薬をまいた。

  • 午前中:@酒生地区#排水溝から水が噴き出した</A>

朝一気に降って、用水路をへだてて自宅側が6~70cm水没した。排水溝などから水が噴き出していた。あたりの田んぼなどすべて水没して湖のようだった。ところが近所の友人のところはなんともなく、「大変なところがあるらしい」というメールが来て驚いた。車を少し高いところに動かした。学校も水につかり、公民館もつかり、山は急でどこへ避難してよいかわからない。天神橋のあたりの堤防では川がつるつるいっぱいになっていた。ところが、突然水がみるみるひいていき、どうしたのかといっていたら、下流で堤防が切れたことをきいた。今でも雨が降る夜は怖いし、あれが夜だったらどうしていいかわからない。成願寺山の麓の家に波が打ち寄せてきた。

  • 午前7時:@福井駅前#交差点が冠水していた

自動車学校の夏合宿に参加する学生を送迎するため、7時半ごろから福井駅前のホテルをバスで回っていた。交差点が冠水していて自転車のタイヤが半分沈んでいるのに走っている人をみた。

  • 後日:@県外#ボランティアに行った

県外におり、仕事が休みになった2週間後に帰省し、ボランティアに参加し一乗谷へいった。福井駅東口からボランティアは各方面へのバスにのって現地に入る。2週間後だったので、泥をかき出した後の柱などのふきとりをした。ふいても乾くとすぐに泥がういてきた。

  • @みどり図書館近所#ボランティアに行った。そして今思うこと

水害に遭遇したみどり図書館のことを知り、少しでも復旧のお手伝いをと思い参加しました。今にして思えば、もっと長時間お手伝いすればよかったのにとの反省をしています。福井の人は勤勉で引っ込み思案ですので、一所見ですが、被災した図書館は公民館を通じて町内会単位に復旧応援の協力要請をすべきだったと思います。その正式で組織的な周辺住民への協力要請のうえで、職員は的確な指示に集中するという体制がとれるといいのではないでしょうか。災害の記録保存は大事です。(長文につき一部省略)

  • 午前:@鯖江へ#冠水するなか福井市縦断

朝、鯖江の妹から電話があったため、芦原街道を車で南下した。田原1丁目から道路が冠水し、九十九橋北側の堤防に消防などが土嚢を高く積んでいたのを見た。西木田の交差点あたりが水浸しで通行止めに行きあたった。そこで8号線に出ようと東に向かい木田の線路をくぐる道が水没していて迂回した。大土呂あたりでは8号線も冠水していた。鯖江につくと水が引きはじめていたので、高速道路で帰路につくと激しい雨に遭遇した。帰宅するまで美山の親戚の携帯がつながらず、ようやく伯母から連絡があり、ヘリで防災センターに来たといい、伯父と連絡がとれないといいだした。</li></div>

  • @愛知県#支援物資を送った

私は県外の大学に入学した年で、福井豪雨は家族や友人からききました。当時、大学の学生生協の食堂でアルバイトをしており、福井大学(だと思います)の生協に支援物資としてタオルを送りました。

  • 翌日:@美山町#被災後に帰宅すると

自宅から裸足で屋根に上がり救助されたので、靴がありませんでした。翌日避難先から隣人と帰宅することにしました。行く前、家族に長靴をはかされました。泥だらけで見えなかったため、隣人はガラスを踏みぬいて大けがし、救急車で搬送されました。長靴をはかなかったら、自分も同じことになっていたでしょう。

  • 午前5時:@鹿俣町#公民館に避難できなかった

裏山から赤土の水が流れ降りてきた。午前8時頃には、自宅前の川があふれて直径20cm程の石ころがごろごろと流れており、公民館への避難もできなかった。しばらくすると、雨がやんで水が引いた。

  • @西新町#何年経ってもほこりがでる

孫が里帰りしていたので、とにかく孫の服を二階に上げたのを覚えている。近くの職場では、事務机の上まで水が上がり、机の物はすべて廃棄処分した。一週間泥かきをし、机も洗ったが、何年たってもほこりが出てくるような状態だった。

  • @西新町#自動販売機やガスボンベは流れたが…

何回も冠水したことはあったが、この時はとても怖かった。息子と連絡が取れず、心配になった。道路をすごい勢いで真っ赤な水が流れ、自動販売機やガスボンベも流されていた。不思議なことに、自動販売機のそばにあったお地蔵さんは流れなかった。自宅の車も流されるかと思ったが、水が引いたので流されはしなかったが、結局廃車になった。

  • @御幸地区の自宅#床下収納から浸水した

家族は出かけていて不在でした。家の前の道を車が通る度に水が自宅に入ってきて、床下収納から浸水がはじまりました。最終的に床上浸水になり、ずっと泥のかきだしなど後始末におわれました。それでももっと被害が大きかった家もあったことを思うと、まあ仕方ないかと思いました。

  • @松本#昔から地盤が低く道は川のように

私の家は市内の松本にあります。昔から地盤が低く多少の雨でも家の前の道が川のようになりますが…あの日は、みるみる水がたまりだしあっという間にひざ上まで水がきて前の道が川と化しました。車が水に浸かって…動かなくなるのでは?と不安になったことを覚えています。

  • 昼:@芦原#芦原はなんともなかったのです

芦原でのイベントに参加していました。福井が大雨に見まわれた頃は、芦原はなんともなかったのですが福井の知人からの連絡で大慌てで帰宅しました。帰途の途中の雨足はすさまじく近くの川は橋げたすれすれまでいっていて、とてもおそろしく感じました。その夜は避難勧告がでたような記憶があります。

  • 昼:@御幸#地下駐車場の水を汲み上げていた

御幸ユースが当時ありその地下は車を何十台も止めれました。その日か次の日かはさだかではありませんが、雨が入りこんだ為水を機械で汲みあげているのを見ました。

  • 当日午前8時ごろ:@大和田#配送がストップしていく連絡を次々受けました

職場(スーパーの配送センター)出社した時、既に会社の前の道路が冠水していて、とてもびっくりしました。その後は、「店舗が水浸しになってしまった」(鯖江・河和田地区の店舗)「道路の冠水、渋滞で店に配送できない」などの電話の対応に一日追われていた記憶があります。

  • @市役所市民課の窓口#り災証明書を発行しました

土日に出勤して、り災証明書の発行をしていました。窓口で見た市民の皆様の憔悴して、カウンターにもたれかかる様子は今なお鮮明に覚えています。2週間経った頃、元々予定されていたフェニックスまつりが行われていました。不死鳥のごとく蘇る願いを込め、そして市民に勇気を与えようと開催したそうです。よさこいを踊る人や見ている人の中には、涙を流している方がいました。

  • 10日後くらい:@みのり地区#消毒剤をまきました

福井豪雨が激甚災害(?)に指定されたため、陸上自衛隊が出動した。NBC車両(Nuclear Biological Chemical)に消毒剤オスバンを希釈した水を大量に入れ、夜明け前からみのり地区の道路を中心にまき、消毒した。通勤前の時間帯だったが、せまい道を大型のNBCで通るため、交通整理が大変でした。走りまわり、身体中に水をあびた記憶があります。

  • 1ヶ月後:@木田地区等被災地区#粉塵が多くて、無料肺X線健診

8月中旬、豪雨被害を受けた地区では、あまりにも粉塵の量が多かったことから、市で被災地区住民全員の無料肺X線健診を行ったようです。また8月の炎天下にもかかわらず、保健師さんたちは朝から夕方まで、一軒ずつ被災者宅を訪問し、ご家族の健康状態を聞き、調査票としてまとめ、被災地区住民の方々の健康管理につとめていました。何日も大変だったようですよ。

  • 朝7時ごろ:@藤島地区の自宅#マンションの1階まで水がきたので、出るに出れない

当日は、社会奉仕の日で、カッパを着て出る準備をしていましたが、足羽川が大変で、職場から動員が有り、村の大半の方が行かれました。社会奉仕は危険なので中止となりました。主人の姉が、御幸の荒川沿いのマンションに住んでおり、マンションの1階まで水がきたので、出るに出れないと電話がありました。結局姉の階までは来なかったので、避難はしませんでした。その後子どもは学校(高校)の動員で2回ほどボランティアに参加いたしました。

  • 午前10時ごろ:@テアトルサンク(福井西武横の映画館)自宅周辺は全く被害がなかったので

友人とハリーポッターの映画を見ようとチケットを買おうとしたら、販売の人に、「今日は上映できるかどうかわからない」と言われた。自宅周辺は全く被害がなかったので、何のことかと思っていたら、ビルの窓から見た足羽川が大変なことになっていて、はじめて状況に気がついた。足羽川の方から警察と市役所の人が来て、避難をすすめられ、チケットを返品して帰宅した。後から聞いたところ職場の人が何度も私の携帯に電話をしたそうだが、全くつながらなかった。

  • 午前5時30分ごろ:@越前市の生家#ウラ(私のこと)の生家が激流に呑み込まれ全壊したとの連絡が入った

電話のベルに起こされた。ウラの生家が激流に呑み込まれ全壊したとの連絡が入った。トタンに頭の中でパニック起り、今の電話は夢だったのではと疑った程だった。ウラは越前市(旧今立町)に生家があり、50年前に福井市内に移り、10年前頃は年に1・2回位しか行くことがなかった。即支度をして約25キロの道をどう行ったかさえ忘れて現場に急行した。近づくにつれて、川のようすが次第に荒れて道路にも石がゴロゴロ、30分ほどで生家に着いた。一見したところ別に変っていないようだった。それも2階建の1階の後ろの方からの激流のため前面だけ見る限りでは、見にくかっただけ、後ろに回って驚いた。中柱など数本が無く床板もなく、川になっていた。これは全壊だ。家族は間一髪で非難し全員無事だった。想い出の品々は跡かたもなくなった。それから5年近くはさみしさ・むなしさで現場に立入ることはなかった。

  • 午後1時ごろ:@みどり図書館周辺#帰宅途中に水の中を歩いた

足羽川決壊で仕事が早く終わり、歩いて帰宅している途中に浸水して家の中を片付けている方々を見ました。途中、水の中を歩かなければならなくなり何度も転びそうになりました。

  • @みのり地区#家を建替えた

直接は見ていませんが、福井市みのりの親戚の家が床上浸水の被害に遭い、泥をかき出すなどしたそうですが、結局は家を建て替えなければならなかったそうです。

  • 午前6~7時ごろ:@自宅→小学校→職場#とにかく行くしかないと思い川のような道を行った

その日は夜中から雨が強く降り続き、朝目が覚めると、家の玄関のすぐ前まで水が迫っていた。ここまでひどいとは思っていなかったので、驚いていると、同じ地区の方から電話があり、地区の人がたちが小学校に避難してくるかもしれないので、手伝いにきてほしいとのこと。慌てて小学校体育館に行くと、何組かの家族が不安そうな面持ちで避難してきていた。その当時は避難所など開設したことがなく、何をしていいか分からず、おろおろしていたが、茣蓙をひいたり、地区の方が作ってくれたおにぎりを配ったりしていた。このおにぎりの差し入れはとても有難かった。そうしている間に職場の先輩から電話がかかってきて、職場が浸水したのですぐ来るようにとのこと。まさかそんな事態になっているとは思わず、慌てて歩いて職場に向かおうと思ったが、途中の道路が膝上の高さまで冠水していて、どうにもこうにも怖くて進めない。川のようになった道は通行止めのような表示があり、誰一人歩いている人などなかったが、とにかく行くしかないと思い、冠水した道路を進んで職場に向かった。やっとの思いで職場に着くと、すでに他の人たちは到着しており、できる限りの措置は済ませたあとだった。あとで聞いたところ、別の道路を通ってくれば道路は全く冠水していなかったらしい。その当時はハザードマップも出来ていなかったため、どのルートを通れば安全かなど、自分自身全く分かっていなかった。ハザードマップを頭に入れておくことが、その時の教訓となった。職場は地下と1階が床上浸水し、復旧作業を終えるまでに半年以上を要した。その間の作業は普段の仕事とは全く異なる作業で、先のことが見えないせいか、精神的不安・ストレスが大きかった。この期間の作業には、個々のサバイバル能力、状況に応じた機転、皆の団結力というものが必要であったと思う。普段、普通の状況で仕事ができるというのはとても恵まれた状況だったと痛感した。また復旧作業には多くのボランティアの方が手伝いに来てくれ、大変有難かった。多くの人たちの助けを得て、職場は復旧までこぎつけたと思う。その後、半年以上の復旧作業を経て、職場は復旧したが、災害時に自分が真っ先にどういう行動をとるべきかなど、常にシュミレーションしておくことが大事だと思う。

  • @木田地区#考えてしまい手伝いにいけなかった

新聞社さんのほうから頂いた写真で、木田の高架の陸橋のような通り水がごみの山になった写真を頂きました。私は新聞やニュースを見ていただけなのですが、いざ災害というとなんのくつとか考えてしまい手伝いに行けませんでした。今年は雨がひどくないとよいと思います。写真は父のものとなっているので分かりませんが、本人は新聞社のものだから譲れないだろうといっていたので大切にするつもりです。

  • 当日:@#友人に連絡をどうしてよいものやら

福井豪雨のこととか、友だちの家に電話をかけた。電話の前にテレビを見ていて、おかしいと思ってかけた。床上浸水というのをテレビで見たらしいとのことだったのだけど木田橋付近が決壊したのは知らなかったのですが、長いことは電話できないと思いそれきり。最近、友だちと話し元気でいるらしいと知り、手紙をときどき出しますが、ときどき、「その時わたしは…」に書いてあった子どもたちのように少し心のことを思うと、この時期出そうかとかどうしようを悩んでしまいます。でも雨の日はやっぱりつらいらしいです。私の家も高台にありますが去年の雨で少し大変でした。今年は雨がひどくないといいな。

  • 当日:@福2丁目の自宅#親戚の家へ避難しました

この年はカラ梅雨で前日は大変蒸し暑かったと記憶しています。当日は今までに聞いたことのないものすごい雨音で目を覚ましました。家の前の川がみるみる増水、道路へ浸水してきました。ついには玄関まで水が入りこんできましたが、その頃には避難勧告がこの地区に出ましたので、股間まで浸かりながら親戚の家へ逃げました。そんな中、Aコープスーパーやパチンコ屋さんでは皆さんふつうにしてらっしゃったのでちょっとびっくりしました。自宅は床下浸水ですみましたが、近所には床上浸水した方もいらっしゃいました。田んぼに水没した車も見ました。

  • @勤務先#1階は泥でめちゃくちゃな家を見て脱力、何から手をつけていいか分からない

姉から電話で、「自宅が大変な事になっている」と言われても、当時の私は災害に対する意識が低く、何を言ってるんだと思っていたが、再度姉に怒られてようやく事の重大さに気付き、仕事が手につかなかった。(自宅には両親と寝たきりの祖母がいたので)3人共に無事でホッとはしましたが、床上浸水のため、1階は泥でめちゃくちゃな家を見て脱力、何から手をつけていいか分からない、そんな中での後片付けでした。次の日も祭日だったので、親戚、父の仕事関係の人が片付けを手伝ってくれて、とてもありがたい気持ちでした。ちなみに後から聞いた話ですが、私たちの地区は堤防決壊予想がされてなく、消防も来るのが遅く、町内の人が一カ所に集まって消防が来るのを待っていたそうです。なかなか来ないためか、イラ立つ人もいて、やっと来た人に怒りつけていたと聞きました。

  • 午後5時ごろ:@江端川水門#水門で水位計を見ていました

江端川が日野川と合流する水門の所に水位計があります。800cm~830cmの水位を示す文字が赤い色で危険と表示されています。先程家族を公民館に避難させて、私は水門の所に戻り、水位が800cmに近づいてゆく姿をジーッと見つめていました。近くに立っておられた国土交通省の職員さんの方の携帯電話が鳴り、水門が開かれ、江端川の水がゴーッと音を立てて日野川に流れ落ち、堤防決壊の危機は去りました。今、休日など時たま水門の近くに立ちます。川に向かって、山々に向かって、今日在ることを感謝して手を合わせます。

  • 当日終日:@自宅前及び職場(みどり図書館)#いくら洗っても乾くと白く砂が浮いてくる…

(1)自宅前の狐川が道路すれすれまで増水し、いつ氾濫するか恐い思いをしました。(2)職場では床上まで浸水し、カーペットは全て取り替え、地下は全滅、書架も下方が浸水。書架の本と箱詰、一部を他へ疎開させ、それからが水との格闘でした。いくら洗っても乾くと白く砂が浮いてくる…。延々と続く。

  • @当時妊娠中でした

当時第一子妊娠中でつわりに苦しんでいました。職場が被災し厳しい環境で、休んだり吐いたりできる場所もなくつらかったです。泥とホコリにまみれてスコップをふるったり、カビを掃除したりしていたので、おなかの赤ちゃんのことがとても心配でした。仕事をかわってくれた同僚やボランティアの方、なにかとかばってくれた上司…皆さんにはとても感謝しています。またおなかが大きくなってからは、産休に入ることの申し訳なさでいっぱいでした。結局、平成17年1月に無事出産し、今では小学4年生です。「今日は同級生の○○くんのお誕生日」とか「来月は○○ちゃんのお誕生日」聞くたびに、「豪雨の時生後二ヵ月か…不便なこともあっただろうな」とか「おなかが大きい時期で不安だっただろうな」とか考えます。

  • 午前5時:@県庁のお堀あたり雨が糸をなすごとく降りました

雨が糸をなすごとく降り、見る間に道路が冠水し、宅地が浸水して行く様子を目の当たりにした。当日午前11時ごろ勝見付近の足羽川堤防で一部冠水を確認。

  • 午前7時:@美山地区#山間の谷から雨水が川になっていて、身の危険を感じました

子どもを中学校に送っていくとき、道路脇の山間の谷から川のように雨水が流れていた。身の危険を感じ、すぐ家に帰り災害に備えた。

  • 午前8時~10時:@岡保地区#町内総出で土嚢積み

町内裏山からの谷川が氾濫したので町内総出で土嚢積みをしていたところ市職員課から「避難所開設のためその任にあたれ」と連絡があり、公民館で避難所開設をと避難民の対応にあたっていた。

  • 午前7時ごろ:@#田んぼが雨水でいっぱいになり、道路にあふれ出した

当日は朝4時位から雨が降り止まず、5時位から、それこそバケツをひっくり返したような雨が7時頃まで続きました。当時自宅前の道路をはさんで田んぼがあったのですが、7時過ぎに深さ70cmくらいの田んぼが雨水でいっぱいになり、道路にあふれ出したのを覚えています。自宅は道路よりかなり高い所に建っていましたが、床下浸水になるのでは?と恐怖を感じました。

  • 昼ごろ:@幸橋右岸#橋桁に大型プロパンガスボンベやスノータイヤがガンガンと音を立ててぶつかっていた

橋桁に美山の民家から流れてきた大型プロパンガスボンベやスノータイヤがガンガンと音を立ててぶつかっていた。河川コンクリート擁壁から無数の泥水がにじみ出ていた。

  • 当日:@足羽川左岸地域の自宅付近#現状が信じられず事実として受け止めるのに時間がかかった

通常の番組がすべて豪雨報道になり、テレビの時間の目安がなくなった。いつもは橋のずっと下にある川が堤防いっぱいに水があふれ、その現状が信じられず事実として受け止めるのに時間がかかった。自宅に被害はなかったが、右岸に被害が出た。

  • 翌日:@大学#あの日、たった1日の雨で…

被害に遭った地域の知人・友人が続出。ある人はまともに被害を受けたとのことでゲッソリした顔をしていた(幸い家族は無事とのこと)。「あの日、たった1日の雨で…」と思うと、当時は背筋が凍る思いだった。

  • 午前7時:@自宅#田んぼ等が水につかっていて、まるでため池のよう

その日は、朝から大雨で道路が冠水し、外に出るのも非常に困難でした。豪雨当日は全国ニュースで報道され、私たちが住んでいる町も報道されたことです。私が朝見たときは、もう既に田んぼ等が水につかっていて、まるでため池のような場所になっていたのでとてもびっくりしました。もしかしたら家の方まで浸水するのではと、とても不安になってしまいました。

  • 午前9時ごろ:@会社#会社から帰れませんでした。

会社で早朝仕事をしていました。会社から帰れませんでした。大雨でした。

  • 午前6時~:@板垣の堤防の近く#店が停電になった

早朝より、近所の人達が歩いて板垣橋南詰下流の堤防に足羽川の様子を見に行っていたのは分かっていましたが、その日は息子の中体連の大会初日で、送り出すのに準備をしていました。会場は福井市北部の中学校だったので、フェニックス通りへ出ようとしましたが、既に木田四ツ辻ガード下は冠水のため通行止めで、セーレン前を通って大名町に行こうとしたところ、道路は水びたしで車高程の水しぶきがあがり、かなりひどい雨だなと思っていました。昼頃、中体連が中止になったので息子から迎えに来てほしいと連絡があり、車を出したところ春日の刑務所を過ぎたところでお風呂の水を止め忘れて湯船からお湯があふれているように藤棚で有名なたばこ屋さんの後ろの堤防付近から茶色い水があふれ出し、消防や近所の人が土のうを積んでいました。今まで見たことがない出来事に息子を迎えに行くのはあきらめ、自宅にいた娘と羽水のハーツの駐車場に車を停めてラジオで状況を把握しようと思いました。そしてハーツにいれば、トイレと食べ物の心配はしなくていいと思ったからです。しかしすぐにハーツは暗くなり、停電になったと知りました。駐車場にいると男の人が泥だらけでやって来て、「春日の方から逃げてきた、腰まで水が来た。」と興奮して話しかけてきました。息子の迎えは足羽川の北側にいた主人に頼み、夕方自宅に戻りました。TVで被害の状況が次々と映し出され、見慣れた光景が悲惨なものに変わってしまったので悲しくなりました。とりあえず友人達に連絡をとり、翌日からスコップと長靴持参して出来ることはないか聞いて歩きました。

  • 午後2時~午後9時:@福井市南体育館#避難所を開設しました

市スポーツ課職員として、南体育館を避難所として開設し、運営にあたっていました。被災された方の受け入れ等を行っていましたが、実際に来られた方は数名でした。被害がどこまで広がるのか分からず、とても不安だったことを覚えています。

  • 午後:@みどり図書館#みどり図書館は泥水にプカプカ浮いているように見えました

当時職場だったみどり図書館は泥水にプカプカ浮いているように見えました。職員総出で、水につからないように本を高いところへ移しました。その後、8ヶ月閉館したけれど図書館にあった本の被害は少なかったので、がんばってよかったと思いました。

  • 翌日:@生部町#流れていった魚達について

(1)水が引いた後、道具蔵の土台(笏谷石)の欠けた所から10センチメートル位の長さの棒(?)が上下にはねていた。一瞬、何かわからなかった。思わずひっぱり出してみると魚の尻尾で、びっくりした。後日、その話をすると、蔵はもう少しで床上浸水という状態だったんだなと言われてもう一度驚愕した。(2)庭に心の字の池があり、南東の方から流れてきた水が、庭を流れて通用門の方から外へ、下の畑へと流れていった。水がひいてみると、完全に池は砂で埋まり、8匹ほどいた大きな鯉、数多くの小さな鯉は一匹もいなかった。

みどり図書館の被災と復旧座談会


みどり図書館は福井豪雨の被害を受けました。水害にあってわかったことを後世に伝えられるように、座談会を開催しました。

豪雨座談会(PDF形式:1,458KB)

関連情報

福井豪雨に関する資料を紹介します。

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