大河ドラマ「越前編」の放送が始まりました!

最終更新日 2020年6月1日 印刷

2020年大河ドラマの主人公「明智光秀」の福井市ゆかりの地をご紹介します。

「明智光秀ゆかりの地」ドライブスタンプラリー開催!!

 大河ドラマ「麒麟がくる」の放映を記念して、主人公「明智光秀」にゆかりのある福井県内のスポットを巡るスタンプラリーを開催します。ゆかりの地を巡って、光秀公が駆け抜けた激動の時代に思いを馳せてみませんか。みなさまのご参加お待ちしています。

 ※このスタンプラリーへの参加には、スマートフォンが必要となります。

 【期  間】2020年6月1日(月)~12月20日(日)

 【スポット】全5か所
        ・一乗谷朝倉氏遺跡(福井市城戸ノ内町28-37)
        ・明智神社    (福井市東大味)
        ・称念寺     (坂井市丸岡町長崎19-17)
        ・金崎宮     (敦賀市金ヶ崎町1-4)
        ・得法寺     (三方上中郡若狭町熊川33-26)

 【参加方法】以下のURLよりご参加ください。
       https://jaf.or.jp/common/area/2020/chubu/fukui/local-news/0301-01

 新型コロナウイルス感染症による状況に応じて、今後、本スタンプラリーを予告なく中断・終了する可能性がございますので、あらかじめご了承ください。

明智神社

 光秀の屋敷跡と伝わる場所に「あけっつぁま」と呼ばれる小さな祠・「明智神社」があり、中には高さ13センチメートル程の木彫りの光秀座像が祀られています。この木像は東大味町の3軒の農家が「生きているのは光秀公のおかげ」と、光秀の像を密かに400年以上守り続けてきたと伝えられています。

 祠は明治19年(1886)にこの農家の発願で建設されました。光秀が柴田勝家・勝定に依頼して出させた安堵状によって東大味は戦禍から救われたが、その後、光秀は戦乱の世の中で主君信長を討ち秀吉に敗れ、「逆臣」の汚名をきせられました。さらに時代が進み、歴史上から光秀の評価が抹殺されることになった中で、光秀を祀ることは許されることではなく、世の非難、中傷は絶えなかったのでしょう。

 逆臣、裏切り者と称される光秀だが、約10年間身を置いた地、越前に感謝し、住民を思いやる姿こそが、光秀の本当の素顔ではないでしょうか。

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住所

 福井市 東大味町

アクセス

 アクセスはこちらのページをご覧ください。

明智神社奉賛会

 近年、歴史的評価が変わり、400年もの長い期間、たった3軒で守られてきた明智神社の管理が町(区)に移管されることになり、全町民からなる「明智神社奉賛会」を組織し、毎年6月13日(光秀命日)には法要を営んでいます。
 ※令和2年6月13日の法要は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となりました。

 明智神社を管理する明智神社奉賛会ホームページはこちらをクリック(新しいウインドウが開きます)

リーフレット

明智光秀と一乗谷(福井市おもてなし観光推進課発行)

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 明智リーフレット(PDF形式 2,215キロバイト)

ふくい県内ゆかりの地リーフレット(福井県文化課発行)

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明智光秀ふくいゆかりの地MAP(PDF形式 29,834キロバイト)

福井県内ゆかりの地に関する情報

 ゆかりの地に関する情報は「ふーぽ」内にも紹介されております。こちらからご覧ください。(新しいウインドウが開きます)

一乗谷と明智光秀

一乗谷朝倉氏遺跡について

 5代103年間に渡り越前を支配していた朝倉氏は織田信長により火を放たれ灰燼に帰した。1967年から遺跡の発掘調査が進められ、1971年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、1991年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、朝倉館跡庭園、南陽寺跡庭園の四庭園が特別名勝に指定されました。さらに、2007年には遺跡出土品のうち、2,343点が重要文化財に指定されました。

 2019年5月には、日本遺産「400年の歴史の扉を開ける旅~石から読み解く中世・近世のまちづくり越前・福井~」を構成する文化財として、一乗谷朝倉氏遺跡が認定されました。

 日本遺産についてはこちらをクリック(新しいウインドウが開きます)

 一乗谷朝倉氏遺跡PVとテーマ曲「悠久の一乗谷」(新しいウインドウが開きます)

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復原町並

 発掘調査の結果を基に、武家屋敷と職人等の町屋を復原。塀の石垣や礎石は発掘された当時のものを用い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基づき忠実に復原されている。道具などから当時の暮らしがうかがえる。

住 所:福井市城戸ノ内町28-37
営業時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
休業日:12月28日~1月4日まで
    ※5月31日までは、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休業中
入場料:220円(中学生以下無料)
    朝倉氏遺跡資料館との共通観覧券250円
駐車場:有(約100台分)
問い合わせ先:(一社)朝倉氏遺跡保存協会 TEL:0776-41-2330

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5代朝倉義景

 国を滅ぼした暗君とも言われる義景であるが、その実は儒学を治世の根本とし、小笠原流の兵学を身につけていた。また、文芸にも極めて関心が高く、絵画の他、特に和歌に秀でていたといわれる。越前国を乱世の中で泰平に導き、人々の暮らしを守り、京の公家たちを救援したにもかかわらず、滅亡の憂き目に遭ってしまったのは、稀代の武将織田信長と同じ時代に生まれた不運というしかないであろう。

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明智光秀の生い立ち  

 光秀は、室町時代に美濃国(岐阜県南部)の守護を務めた土岐氏の一門で享禄元年(1528)明智城(岐阜県可児市)にて明智光綱の子として出生。天文12年(1543)に元服したの後、妻木城主の娘煕(ひろ)子と結婚。弘治2年(1556)美濃の実権を握っていた斎藤家の内紛に巻き込まれ、敗者方についた光秀は美濃を追われ、越前に逃れたという説があります。

 越前国主朝倉義景に仕官

 越前では、称念寺(福井県坂井市)の門前に妻子を仮寓させ、旅に出て文武両道をみがき、特に堺では火縄銃の技術を習得。加賀の一向一揆が越前に襲来した際、光秀は朝倉軍に与し、勝利に貢献。これを機に、朝倉義景に鉄砲指南役として仕官したという説があります。一乗谷朝倉館への大手筋にあたる東大味に5年間住み、ここで、娘・玉(ガラシャ)が生まれたとされています。

足利義昭との出会い

永禄10年(1567)に、朝倉義景に上洛の協力を求めて足利義昭が一乗谷を訪れ9か月滞在。光秀は義昭の家臣・細川藤孝を通して、義昭にも仕えるようになりました。

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アクセス

  • 電車

 福井駅(JR越美北線)⇒電車15分⇒「一乗谷駅」下車復原町並まで徒歩約15分

  • バス

 京福バス福井駅東口(2)乗り場(一乗谷朝倉特急バス)⇒バス23分⇒「復原町並」下車

 京福バス福井駅前(5)乗り場(一乗谷東郷線)⇒バス28分⇒「復原町並」下車

 ※電車やバスは本数が限られておりますので、事前にお調べになることをお勧めいたします。

 ※当面の間、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、バスの運休、減便がございます。詳しくは、こちらからご覧ください(新しいウインドウが開きます)。

 北陸自動車道 福井ICより約10分

 大本山永平寺より約20分

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観光文化局 おもてなし観光推進課

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