福井藩十二カ月年中行事絵巻壁画

最終更新日 2016年4月5日 印刷

福井藩十二カ月年中行事絵巻とは

 江戸時代福井城下の月ごとの代表的行事や風物を、軽快な筆致で描いたもので、そのほとんどの行事が廃絶した今日となっては、きわめて貴重な資料です。
 筆者は不詳ですが、「松平文庫」に蔵する「越前国名蹟考」原本の挿絵と、構図・筆致とも酷似したものが含まれていることから、福井藩居合の師範家で狂画を得意とした高畠夢蝶の筆ではないかと推定されます。

福井藩十二カ月年中行事絵巻壁画

「正月十四日桜門前馬威しの図」

正月十四日桜門前馬威しの図 福井城下では、正月を迎えると各町に高々と左義長を飾り付け、15日に燃やして1年の無事を祈りましたが、この祭事では福井藩独特の勇壮な「馬威し」が行われました。14日に行われる「本威し」と、それに先立つ「下威し」があり、本威しでは愛馬に乗った若武者が桜門から城外へ乗り出し、左義長が飾り立てられた本町を抜けて、九十九橋北詰の京町まで走るものでした。この日だけ、町人は武士の進路を妨害することが許されており、よほど馬術の優れた武士でなくては、走り抜けることが容易ではありませんでした。

「二月廿日三保嶋祭礼の図」

二月廿日三保嶋祭礼の図 三保嶋とは、日本海に面した東尋坊の北にある雄島のことで、ここに鎮まる大湊神社が、三保大明神とも呼ばれたため、この島の名が生じました。大湊神社は、古くから航海や漁業の守り神で、外国から攻めてくる軍船などを打ち負かす弓矢の神としても信仰をあつめてきました。2月20日の祭礼には、多くの参詣者が雄島を訪れました。

「三月 九十九橋桃花の図」

三月 九十九橋桃花の図

江戸時代、福井城下の足羽川の南岸一帯は、一面の桃林でした。

開花の季節を迎えると、愛宕山(現在の足羽山)の緑を背景に、あたかも薄紅色の霞がたなびくような美しさでした。また、北岸より天下の奇橋九十九橋を見ると、ゆるやかに曲線をえがいた橋が、まるで桃源郷(別世界)へさそう懸け橋のように思えるほどでした。

全長88間(約160m)のうち、南側41間(約75m)を石橋とした半石半木の九十九橋は、明治42年(1909)まで存続しました。

「四月 足羽川筏流しの図」

四月 足羽川筏流しの図 筏流しは、燃料に使う大量の薪を山間部から福井城下に運び入れるために考え出されました。城下を流れる足羽川の上流に住む山里の人々は、4・5月と9月の2度にわけて、囲炉裏やかまどの薪として集めておいた木の枝を、筏に組んで川へ流しました。下流の福井城下では、城の橋から九十九橋へかけての南岸一帯で、これらの筏を待ち受け、河原に引上げて乾燥させたのち、武士や庶民へ売りさばきました。

「五月 菖蒲打の図」

五月 菖蒲打の図 5月5日は端午の節句で、福井城下では菖蒲打と呼ばれる少し変わった風習が行われました。菖蒲打といえば、一般には子どもたちが菖蒲の葉で地面をたたき合い、音の大きさを競う遊びです。しかし福井では、棒のように太く束ねた菖蒲の葉を「祝いの菖蒲」と名付け、通行中の女性の尻を打ってまわったのです。これは、古くからの武家の風習だったようです。

「六月 祇園祭りの図」

六月 祇園祭りの図

江戸時代、福井城下の祭礼として最も盛んだったのは、6月7日から14日にかけて行われた祇園祭でした。

福井の祇園祭は、松本と木田にある牛頭天王社の祭礼で、延宝3年(1675)に藩主松平昌親が、有名な京都の祇園祭を参考にして祭りの振興をはかりました。

また、寛延元年(1748)には、「大祇園」と称して祭りを大規模に行うなど、歴代藩主の手厚い保護を受けました。

「七月 盆踊りの図」

七月 盆踊りの図 福井城下では、祖先の霊を迎える盂蘭盆を中心に、連日連夜の盆踊りが行われ、半月以上にわたって賑わいを見せました。寛文12年(1672)頃では、足羽川沿いの浜町河原や勝見河原、木田口広場、四井口広場などに大勢の人々が集まり、徹夜で踊りを楽しみました。藩では、踊りを中止するなどの規制をしましたが、その勢いは止められず、のちには西瓜や寿司などを売る夜店も出て、一層盛んになりました。

「八月 鮎梁落の図」

八月 鮎梁落の図 おもな川では、8月になると産卵のために川を下ってくる落鮎をねらって、梁漁が行われました。せき止めた川の一か所に水路を作り、その狭くなった所に竹やスノコの棚を仕かけ、流水とともに鮎をすくい取るものです。この庶民による川漁は、秋になると見られる風物詩の一つでもありました。

「九月 加茂山坂鳥の図」

九月 加茂山坂鳥の図 福井藩では、晩秋から翌年の春にかけて、田に水を溜めて広い人工の池を作り、そこに飛来する鴨や雁をY字形の投げ網でからめ取る、「坂鳥」「坂鳥打」と称する狩猟が盛んに行われました。水鳥をおびき寄せるための池は、各所に設けられましたが、特に加茂山・山奥の猟場は藩が指定した坂鳥場とされ、多くの藩士に利用されました。

「十月 護摩堂紅葉の図」

十月 護摩堂紅葉の図 福井城下の南西、愛宕山(現在の足羽山)の南東の麓にあった護摩堂谷一帯(現在の不動寺付近)は、壁のように切り立った岩に蔦のからまる、紅葉の名所として知られていました。

その季節になると、美しく見事な紅葉を一目見ようと、護摩堂へ参る人々で賑わいを見せました。

「十一月 献上寒鱈早駈の図」

十一月 献上寒鱈早駈の図

福井藩主から将軍へ差し上げる、恒例の献上品の一つに、「御寒鱈」と称する、寒い時期に取れる新鮮な鱈がありました。寒中とはいえ、腐らないよう江戸へ急送するため、人足達はフンドシ姿に、かけ声も勇ましく、交代しながら一時も休まず駈け通したということです。

多くの人足達が勢いよく福井を出発する様子は、この時期の城下の風物詩として欠かせないものでした。

「十二月 舟橋雪景の図」

十二月 舟橋雪景の図

福井城下を抜けて北へ向かう北陸道が、九頭竜川を渡る地点に、柴田勝家が架けたと伝える舟橋がありました。

江戸期の記録によると、川幅が105間(約190m)のところに48隻の小舟を並べ、その上に敷板を渡して橋としたもので、海岸部の村々や藩によって厳重に管理されていました。北陸道を行き来する人々が目にした舟橋の景観は、四季折々の変化をみせ、ことにその雪景色は、またとない風情があって旅人の心を慰めました。

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