北の庄城址・柴田公園のご案内

最終更新日 2014年1月20日 印刷

北の庄城址・柴田公園について

 

北の庄城址公園全景

 北の庄城址・柴田公園には柴田勝家が築城した北庄城の天守があったとされています。北庄城は天正3(家紋1575)に築城がはじまり、織田信長の安土城天守(7層)をしのぐ、9層の天守閣をもつ日本最大級の城だったと記録にのこっています。

 北の庄城址(きたのしょうじょうし)・柴田公園は、柴田勝家(1523?~1583)が築造した北庄城の一部が考古学的発掘により初めて検出された遺構の上にあります。徳川期に結城秀康(1574~1607)がその遺構を大胆に改変し福井城を造営していった様子も地層の切り合いの中で確認することができます。

 その後、藩政時代はもとより、明治維新後から戦後・現代に至るまで、この場所は福井の都市的中心部として発達してきました。その意味で北の庄城址・柴田公園は、県都福井市の発生期を偲び、その後の発展の歴史的形成過程を物語るかけがえのない史跡であるといえます。

 さらに幾度か被災しながらもその度に甦り、近年公園と隣接する地に、あたかもこれを護持するかのように柴田神社が再建整備され、勝家公およびお市の方が合祀されています。このことによって柴田神社は氏子のみならず、全国の勝家・お市の方ファンがお詣りに訪れる神社となっているのです。

 園内には、勝家公、お市の方、三姉妹の銅像が建てられているほかに、勝家公の子孫であるとされる日本画家、平山郁夫氏揮毫による記念碑もご覧いただけます。園内の資料館では、より詳しく勝家公や北庄城について知ることができます。この公園は、平成19年に『日本の歴史公園100選』にも選ばれました。

柴田勝家公像    お市の方像     三姉妹の像

       柴田勝家像                   お市の方像                三姉妹像      

    

 ◆発掘調査の成果◆

 福井市では、柴田神社の建設工事、北の庄城址・柴田公園の整備工事を契機に、“福井城”、そして伝承されてきた“北庄城”を確認することを目的として平成5年度から6回にわたり発掘調査を実施しました。調査成果の説明会門の周辺

 北庄城は、これまで文献資料や伝承でのみ語られてきた城郭でありましたが、発掘調査によってはじめてその存在を確認しました。確認した堀は、大規模な城郭の一部でありますが、吉野川(のちの百間堀)と堀を東からの防御としていた城郭の構造であったとうかがえます。また、福井城の築城によって、破壊をうけてその全貌が失われてしまっていることがわかりました。

 北庄城の築城はこの地にはじめて都市を建設した事業であります。現在の福井市は北庄城を基礎とし、福井城に受け継がれて発展してきました。そのため、福井市を語る上で、その歴史的価値は大きいものであります。

 堀と石垣について

 確認している堀は幅約25mで、北に向かって延びています。堀を護岸していた石垣は、本来は、何段も積まれていたことがうかがえますが、福井城を築城する際に破壊され、堀の南と西側で1番下の根石のみ残っているにすぎませんでした。堀から16世紀後半の越前焼の擂(す)り鉢・甕(かめ)、陶磁器、古銭や焼けた土壁が見つかっています。城址公園の堀と石垣

 堀によって遮られる北と南の区画(曲輪(くるわ))、そしてその曲輪間をつなぐ道(土橋)を確認しました。曲輪には城内に向かう道に面して家臣団の武家屋敷が建ち並びます。

 調査で確認した道は、南の曲輪から堀を渡り、互い違いの高石垣をぬけるかね折れで城内に通じています。このような構造は、南からの敵を防ぐことを目的としていることがうかがえます。南から眺めてみると、手前の高石垣に視界を遮られ、門は見えません。奥の高石垣の裏には階段が設けられていて、迎え撃つようになっています。

 ◆柴田勝家公の遺業◆  

九十九橋の橋脚

 九十九橋(つくもばし)は、北陸道と足羽川が交わる地に架けられた橋ですが、江戸時代には半石半木の珍しい橋として全国的にも有名でした。半石半木とは、橋の南半分が石で、北半分が木で造られるという構造のことを意味しています。

 この橋が架けられていたという記録は朝倉時代にもありますが、半石半木の橋として架けたのは、文献、絵図等の研究から勝家公だと考えられています。九十九橋の復元

 江戸時代前期(貞享2年:1685)の「越前国地理指南」では「大橋 長八拾八間 幅三間 板橋四拾七間 石橋 四拾一間」とその大きさが記載されています。

 石橋の部分は全て笏谷石で作られ、橋脚の長さは立てる場所によって異なりますが、2.5m~2.8mと推定されています。江戸時代の二百数十年の間に九十九橋の架け替え工事は、記録としては十回以上あり、最後の工事は安政元年(1854)でした。また、明治7年(1874)に半石半木の橋として最後の架け替え工事が行われたと記録されています。

舟橋の鎖

 舟橋とは、川に舟を幾艘も並べて、その上に板を渡すことで架けられる橋のことを言います。古くから舟橋は造られており、全国的にも地名などにその痕跡を読み取ることができます。舟橋の鎖

 展示されている鎖は、北陸道が九頭竜川と交わるところに、柴田勝家公が天正6年(1578)に渡したと伝えられる舟橋で用いられていたものです。この時の舟橋の大きさは不明ですが、江戸時代後期の「越前国名蹟考」では、舟橋にかかわる多くの記事が記載されています。その中では、川幅105間(190m)、橋長120間(216m)とも記されています。

 また、勝家公の舟橋にまつわる話として、舟橋に用いる舟を越前海岸の各浦から集め、鎖は「刀さらえ」で集められた武器を利用して作ったと伝えられています。

◆北の庄城址資料館のご案内◆

  資料館では勝家公が行った偉業を紹介、北庄城に関する遺物や史料も展示されています。

  館内にはトイレが完備されており、休憩スペースもあります。

北の庄城址資料館

開館時間

午前9時~午後6時

入館料

無料

やじるし  ふくいcityナビの「江~姫たちの戦国~」特集はこちらです。 

地図

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建設部 公園課

電話番号 0776-20-5460ファクス番号 0776-20-5769メールフォーム

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