常設展「高田博厚の世界」(福井市美術館)

最終更新日 2019年8月9日 印刷

常設展示:高田博厚の世界

彫刻家高田博厚は、2歳から18歳までの多感な時代を福井で過ごしました。早くから哲学や文学、芸術に目覚め、後の東京時代やパリ時代には、当時の優れた数多くの知識人と交友を深め、彫刻家としてのみならず、文筆家、思想家としても活躍しました。東西の知識人との幅広い交友をもとに、孤独と貧困の中、ひたむきに粘土と格闘した高田博厚の全貌を、肖像作品を中心に、彫刻約80点、デッサン約10点と映像などで紹介します。

展示室の構成

第1展示室:オリジナル映像によって高田の彫刻人生を紹介しています。

第2展示室:渡仏前の画家や詩人との交友と、彼らをモデルにした肖像作品を展示しています。

第3展示室:ドキュメントパネルと作品の象徴的な展示によって、高田の彫刻人生において最も充実したパリ時代を紹介。彼の芸術世界を知ることができます。

第4展示室:「素材の違う作品」「彫刻のできるまで」などの作品を理解し紹介する小テーマに加え、当館に寄贈された雨田光平や鈴木千久馬など本市ゆかりの作家の作品を展示紹介しています。

屋外展示:高田の作品を展示しています。

高田博厚略歴

1900(明治33)年8月、現在の石川県七尾市に生まれた高田博厚は2歳から18歳までの16年間、父・安之介が福井市で弁護士開業したため、福井市で少年・青年時代を過ごしました。

福井市順化尋常小学校、旧制福井中学校に通い、中学1年生の時、東京美術学校に在学中の彫刻家・雨田光平氏の作品によって、初めて彫刻に触れ、また、文学、哲学、美術の書にも熱中しました。中学卒業と同時に上京し、東京美術学校を受験するも失敗。まもなく年長の友人(画家)に、彫刻家で詩人の高村光太郎を紹介され、同じ時期に「麗子像」で有名な画家の岸田劉生とも知り合います。

その後、東京外国語学校イタリア語科に入学(21歳)しますが、2年で中退。イタリアの原書をミラノの本屋から直接購入し、後にコンディヴィ「ミケランジェロ伝」を訳注するまでになります。この頃、高村の影響を受け、絵から彫刻の道を志すようになりました。

1931(昭和6)年春、30歳で単身パリへ渡り、ロダンやマイヨールら近代彫刻の巨匠に学び、27年に及ぶ滞欧中、文豪ロマン・ロランや哲学者アラン、詩人ジャン・コクトーら当時のヨーロッパの代表的芸術家と幅広く交流し、彫刻の制作に没頭しました。

1957(昭和32)年に帰国。新制作協会会員、日本美術家連盟委員、日本ペンクラブ理事、東京藝術大学講師等をつとめ、九州産業大学芸術学部の創設に尽力、その後徐々に引退し、制作に専念します。

1966(昭和41)年、鎌倉稲村ヶ崎に住居とアトリエを建てました。

1987(昭和62)年6月、87年の生涯を閉じました。

収蔵作品

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