清水地域の朝宮町の伝承

最終更新日 2017年1月27日 印刷

しみずっペディア 朝宮町の伝承

※概ね原本「清水町のむかしばなし」のとおりのため、「である」調で記載しています。


清水北地区 朝宮町(あさみやちょう)


1.村のおいたち
 朝宮(朝宮町)は日野川べりの山際の小さな谷に人家が密集しているが、昔は山裾の丘陵地に住居があったものと思われる。隣区の片粕(片粕町)には縄文中期の遺跡(グリーンハイツ4丁目付近)があり、縄文時代には古代人が住みついていたのではなかろうか。日野川は魚介類が豊富で川べりの丘陵地は洪水にも安全で、近くに清水の湧き出る所があれば、古代人の住居として最も条件のよい所である。
 朝宮から南の三・四百メートル川上の片山地籍村境に、大社・上岩淵・蛇渕・清水谷・南大社・堂所という地名がある。近くには長尾谷があり段々畑となっていて、ここから土器片が出土している。恐らく朝宮に初めて人が住みついたのは、この辺一帯の高台や谷の奥に住んでいたものと思われる。堂所は、元神社の建っていた場所で、現在の奥垣内の八幡神社は、堂所にあったと思われる。
 中世から江戸時代にかけて、交通の要所として日野川端に舟着場が設けられ、渡垣内(わたりがいち)には運送業をはじめ何軒も商家が立ち並んでいたといわれ、三国湊・福井城下からの物資の積み下しや、里向や山家(やまが)の米をはじめ薪・炭等の産物がここで取り引きされ積み込まれ、賑わいを見せていたと言われている。


2.船着場
 村前(字二号)の竹の内垣内に舟着場があり、商家・問屋・運送屋が密集していた。昔から朝宮(朝宮町)には田地が少なく、商工業者が多かった。明治初年までは、作り酒屋二軒、鍛冶屋、豆腐屋、米屋、油屋、飴屋、桶屋、畳屋、作醤油屋、糸繰屋、塩干魚屋、灰屋、医者等があったといわれている。川船運送業者は十 戸余り、諸物資の積み下しで賑わい、秋の末には米穀、新炭、用材、雑穀が積み込まれ、また三国湊から北海道のにしん・鮭・鱒・鱈・こんぶ・肥料など、福井御城下から雑貨類が山のように船から下され、問屋によって売りさばかれた。また笏谷石の積み下ろしもたくさんあったといわれ、現在の朝宮橋から川下岩渕まで大小の船がぎっしりつまっていた。
 明治の終り頃でも毎年四月の蓮如忌や、五月の三国祭りにはたくさんの善男善女が日野川を上り下りし、大きな船に帆をあげのんびりと船頭の舟歌が春風に流れる風景が見られたといわれている。
 朝宮の村前に藺田(ゆだ)があり、藺草(いぐさ)を栽培していた。古老の言い伝えによれば、島寺(島寺町)(四万寺)の御用畳を朝宮で作っていたと言われている。
 製品は、主として雨具用横ゴザ、縦ゴザ、ゴザ帽子の外、飯ゴザ、半畳、イズメのゴザ、寝ゴザ、弁当ゴザ等で、上等の長い畳表はできなかった。
 販売は、小使銭稼ぎのため、冬の農閑期に近在を売り歩いた。また福井東別院の報恩講や法要のお逮夜(たいや)に参る時、背負ってそこで売って帰りおさい銭にしたりしていた。
 この朝宮ゴザも、終戦後の物資不足の折、一時需用があったが、その後衰退し昭和三十年頃にはなくなってしまった。


3.朝宮大根と藍の栽培
 日野川べりに湿地が多かったので、藺草(いぐさ)とともに藍の栽培が行われていた。
 藍は、 昔の衣類の染料として最も多く使われていて、百姓の作業衣はもちろん普段着、ふとんなどの布地は、いわゆる紺色の藍で染められていた。
 天然染料の藍は「タデ科」の植物の「アイ」の葉からつくられ、この藍は湿地帯に育ちやすく、日野川べりの清水山(清水山町)、片山(片山町)、朝宮(朝宮町)、片粕(片粕町)などの水浸き畑が適地として栽培されていた。
 あい草は、イヌタデやミゾソパ(ギャル草)によく似た一年生草木で、八・九月頃紅色の小さい花をつける。この藍草を開花期前に刈り取り細かくきざんで、天日で乾燥させる。
 茎と葉が染料となるので、朝宮の日野川河原には、藍干しのむしろが一ばい列べて乾してあった。
 この藍はふるいにかけられ俵にして、藍玉商人に売られ「アイ玉」に仕上げられ、紺屋(こんや)へ卸された。
 近くの吉江には藍商人が各地から藍草を買い集め、加工して財をなしたと伝えられている。
 なお、山裾の畠や河原の砂地では、副業として大根、ごぼう、人参などの野菜がつくられ、特に朝宮大根は、肌が美しく身がしまっていたので、福井の市場で名の通った銘柄となっていた。
 ところが明治末期に、日野川の最初の改修が行われ、耕地の三分の二余りが河川敷地に接収され、その後、昭和三十五年の改修工事により、川べりの畠はほとんど作られなくなった。


4.朝宮の松
 江戸時代の「越前名蹟考」という書物に「朝宮の松」とて殊なる風情の松あり。よの人賞翫し侍り(がんしはべり)。と書いてある。現在の八幡神社前の田んぼの中ほどに、大きな松の木が生えていた。相当大きな松の木で、日野川の対岸下江守(下江守町)の村人が、秋の終り頃の、「筵干し(むしろぼし)」に、この松の影が邪魔になったと言われ、枝ぶりのよい一本松で、遠くからも眺められ有名であった。


5.御本陣・脇本陣
 朝宮(朝宮町)は、昔から交通の要所であったので、江戸時代、岩堀門左ェ門家を本陣に、児玉孫左ェ門家を脇本陣に指定して、江戸幕府役人の地方巡見や出張をはじめとし、福井藩主、名代など高貴な方の休憩所、宿泊所となっていた。
 本陣の外に予備の脇本陣を指定し、大名の旅行や社参などには、数百人のお供揃えのため、他の民家も宿舎や休憩所として使われた。
 本陣の構造は、門構えと玄関、上段の間をはじめとし、いくつも部屋があり本座敷には露路門(ろじもん)や、庭をはじめとし、奥座敷は八畳間二部屋で、上段の間となっていた。上段の間の前七畳半の横長い部屋が下段の御目見え控え間であった。
 このほか、いくつも小部屋があり、供人、警固下役の控室などの外、外には会所場や、下役、お目見え人供人の控所などがあった。
 大ききは、間口七問、奥行八聞の横入り構造で、このほか、文庫、土蔵など五棟があった。
 脇本陣も同様に立派な大きな構えであった。


6.周辺

  • 田尻栃谷町、片粕町、片山町、グリーンハイツ8~10丁目、 久喜津町、下江守町、南江守町 

7.参考文献など

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