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最終更新日:2009年5月25日

清水地域の笹谷町の伝承


しみずっペディア 笹谷町の伝承

※概ね原本「清水町のむかしばなし」のとおりのため、「である」調で記載しています。


清水西地区 笹谷町(ささだにちょう)


1.貴船神社(きふねじんじゃ)
賀茂神社の摂社(せっしゃ)で、京都の賀茂神社にならって、貴船神社を建てた。このため賀茂神社と特別な関係にあり、馬場が貴船神社の近くまで続いていた。
御祭神は、高雷龍神(たかおかみのかみ)と闇雷龍神(くらおかみのかみ)の二神で水の神様(龍神)である。京都貴船神社の分霊を祭ってあり、右側の旧厨司(ずし)に安置され、土地の者は隠居様と呼んでいる。正面の新厨子には三体の御神像が祭ってあり、大正八年に新しい厨子が寄進された。
神社の横には、御神水の池があり、眼病に効くといわれ、昔はお水もらいの人が多かったと言われ、蒲生、茱崎方面(越廼地区)からの信者が多く、眼病治癒のお札に小さい駒犬を奉納したので、厨子の脇に駒犬がいくつも残っている。


2.菅田神社(すがたじんじゃ)
中垣内の笹谷(笹谷町)には、山観音堂と薬師堂の二社があったが明治四十三年に二社を合併して菅田神社とした。大正時代の終り頃別々にお堂が建っていたのを、本殿を建てて一社に祭った。


3.八幡神社(はちまんじんじゃ)
四ッ合(笹谷町の一部)の八幡神社の御祭神は、応神(おうじん)天皇で阿弥陀如来の坐像が安置されている。南北朝の時代足利高経が、四ッ合荒神(こうじん)が峯に城を築いていたので、武将の守護神八幡神社を祭ったものと思われる。
明治三十九年神社廃合令が出されて、無格社は由緒ある村社以上の神社に合併するよう勅令が出された。その基準として氏子が百二十戸以上あることと境内が百八十坪以上あること等であった。幸いに野口(笹谷町の一部)の貴船神社は由緒ある村社で、菅田神社、八幡神社を合併することに報告した。
ところが隣村の山内(山内町)には無格社上山神社があったが、何とか村社に昇格して存続するため、四ッ合の八幡神社と氏子を、山内へ一時借りて村社にしてもらう事に「約定書」を取り替した。そして加茂神社と改め村社に昇格した。しかし名義だけの約束であったが御神体を中々返してもらえず、四ッ合の者が取り返しに行ったとの事である。


4.護摩堂(ごまんどう)
野口(笹谷町の一部)の村の中央に、室町時代護摩堂が建っていた。護摩堂とは、真言宗や天台宗の秘法の一つで、護摩(ヌルデの木)を燃やして一切の悪業、煩悩を焼きつくす護摩壇のあるお堂である。この場所は、内田(日へんに廣)家前で今から二百四十年ほど昔の文書に、「覚 一、畠 壱ヶ所 五まんどう 清兵衛分 此歩 弐拾五歩 延宝四年卯十二月」と書いてある。


5.随応寺(ずいおうじ)
笹谷(笹谷町)の中垣内に、随応寺という真言宗の寺があった。この寺の開基は宗信という尾張の人で、延文元年(室町時代の始め)に越前国の篠谷村(ささだにむら:笹谷町)へ来られ、随応寺をお建てになった。
この頃の寺院は、近辺の山にお堂を建てたので、南には釈迦(しゃか)山、法師(ほうし)山、堂ヶ谷、黄金堂(こがね)、東には堂宮、浄土、銭亀(ぜにがめ)の近くには鐘(かね)つき山、大門、釈迦堂、護摩堂、五拝(ごはい)などの、寺院の七堂伽(が)らんにちなんだ地名が残っている。このことから随応寺は相当大きな寺院であったのではなかろうかと、推測される。
その後、二代目の空信というお方が永徳元年三国へ移られ、性海(しょうかい)という寺を建てられ、「篠谷山(ささだにさん)」と山号をつけられた。この時、笹谷村をなつかしんで、「かえるらん 幾うらうらのあまの舟 ささ谷山の入りあいのかね」という歌をよまれたと伝えられている。


6.荒神が峰城址(こうじんがみねじょうし)
四ッ合(笹谷町の一部)の南に豊蔵が岳(ぶんぞうがたけ)という山があり、大谷寺(越前町大谷寺)、小倉(越前町小倉)、四ツ合の山境の頂上に荒神が峯城があった。
この城は南北朝の時代に足利高経が築いて、ここに見張りの兵を置いていた。ちょうどこの四ッ合は府中(武生)、四ケ浦、織田方面(越前町)から北の庄(福井)三国方面へぬける間道(裏道)の大切な道であり、せまい谷で敵をくいとめるのに最も重要な場所であった。
興国元年(今から六百五十年程前)、脇屋義助(わきや)が三千余騎の兵で足利高経の織田城、荒神が峯城、天目山城(大森町)など十七か所を、三日三晩かかって攻め落し、高経は加賀の那谷城へ逃げこんだ。
しかし間もなく軍をたてなおして、越前へ攻め込んで府中城をはじめ、次々と脇屋義助方に奪われた城が取りもどされた。
荒神が峯城も守っていた兵が逃げてしまった。平吹城にいた義助は美濃(岐阜県)から吉野へ逃げてしまった。鷹巣の畑時能(ときよし)は戦士し、越前は足利方が平定して北朝方となった。
この戦いについては「太平記巻二十一」に書かれている。四ッ合には武将の守り神八幡神社が、城の麓に祭ってあり、城あとには空堀と礎石が残っていて、「さかきぐみ」(十月頃開花)と縞笹が生えていると言われている。


7.土居村(つついむら)
昔、鎌倉・室町時代に笹谷(笹谷町)高地に土居村という村があった。今は筒井と書くが、昔の記録には土井・土居と書いてある。
この村は、「あちらつつい」「こちらつつい」「後口山」などに散在して家があったらしく、今でも屋敷あとが残っている。村の氏神様は地蔵山の上にあったが、近年大谷寺(越前町大谷寺)大長院の境内へ移した。
天文十三年、一向一揆の争いの時、笹谷乗泉寺の了珍が、この土居村に逃がれて住んでいた屋敷あとも残っている。
享禄二年、室町時代の終り頃の大谷寺文書に、土居村の山持ちが年貢として、野口(笹谷町の一部)貴船神社へ正月米四升と、祇園祭りに米五升の代金五十文を納めたと書いてある。
このほか、九月九日の菊の節句には、大谷寺大長院の神事の経費を、土居村が負担する慣例となっていると書いてある。
このように栄えていた土居村も、江戸時代には、笹谷や野口・大谷寺へと移ってしまった。大谷寺の水島家は、元土居村に住んでいたと伝えられている。


8.中垣内大門地蔵尊
笹谷(笹谷町)中垣内のポンプ小屋の四つ辻に、大きな地蔵様が立っている。宝永三丙戌萱(かや)元陽廿四と銘がある。
今から二百八十年前の古い地蔵である。元種池(福井市)の坪川武右ェ門家にあったのを、明治初年に島勝応(かつまさ)がゆずりうけ、岡の渡辺音松さんが背負って持って来たと言われている。


9.法度坂(はっとさか)
大谷寺(越前町大谷寺)へ参る坂道で、江戸時代福井御城下から大谷寺越知山へ通ずる近道として、最も多く利用された道であった。急な坂を登りつめると、福井平野が一望できる峠があり、ここから大谷寺の寺領となっていて、大谷寺法度(寺の規則)が行われていた。


10.南朝寺(なんちょうじ)の廃寺(はいじ)と寺地払下げ
福井藩主松平家の菩提寺運正寺(福井市足羽一町目)の末寺「平野山地蔵院南朝寺」には、山内(山内町)、笹谷(笹谷町)に多くの寺地をもっていた。山林十町歩、田地三反七畝二十三歩、宅地壱畝二十五歩余りであった。
しかし檀家が無かったので寺の維持は、この年貢米で賄っていたが、明治になって土地制度が変わり、また経済状勢などの悪化により、寺所有地を払い下げることになり、当時の金千二百円で売却され、また浄土宗運正寺末寺、南朝寺の建物も壊されて、本尊阿弥陀如来は福井の運正寺へ、平野山地蔵院の本尊腹帯地蔵尊は、笹谷島勝応(かつまさ)の屋敷内へ移され、また六体地蔵の石仏は、四ッ合(笹谷町の一部)へ払い下げられ、梵鐘(ぼんしょう)は横山(越前町横山)の常光寺へ買却された。


11.あじちと島勝応(かつまさ)
笹谷(笹谷町)の旧家渡部与四郎家を「あじち」と呼んでいた。江戸時代の大高持ちの渡部与右ェ門の長男の与四郎が別家したので「あじち」と言っていた。
屋敷は三反三畝歩もあり、前には葛野(かずらの)陣屋の払い下げ門(十八間二階建ての長屋門)が建っていた。
笹谷では、葬式の行列も遠慮して裏道から三昧(さんまい)へ行ったとの事である。
この渡部与四郎は文化人で、渡部家の先祖は、嵯峨源氏(さがげんじ)の渡辺綱の子孫であるとして「源儀珍(ぎちん)」と名乗り、鸚助(おうすけ)と号していた。またその子の勝応は、先祖は上野国(こうずけのくに)島の郷(ごう)なので、渡部の姓を「島」と改めて島勝応と名乗っていた。
弘化二年五月から嘉永元年二月まで家業の医師の勉学のため上京し、京都新町仏光寺浅井三河介惟(すけただ)良について三年十か月間、内科漢方医の修業を積んだ。
嘉永六年六月笹谷で医者を開業した。当時駕籠(かご)に乗って往診し、薬代・診療費は竹筒に「志(こころざし)」を入れさせ、金は請求しなかったとの事である。
明治時代になってからは、四十八大区四十七ヶ村の区長となり、また明治十二年には第一回の県会議員に選ばれ、明治十八年まで県政に参画した。
しかし、後継者に恵まれず、明治二十八年六十八歳で惜しまれながら亡くなった。


11.周辺

  • 山内町、滝波町、加茂内町、島寺町、白滝町、越前町大畑、越前町小倉、越前町上糸生、越前町大谷寺、越前町東二ツ屋、越前町天谷
  • 滝波ダム、SSTらんど
  • 市指定文化財(彫刻) 木造腹帯地蔵菩薩像 

12.参考文献など

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