清水地域の竹生町の伝承

最終更新日 2017年1月27日 印刷

しみずっペディア 竹生町の伝承

※概ね原本「清水町のむかしばなし」のとおりのため、「である」調で記載しています。


清水東地区 竹生町(たこおちょう)


1.村のおいたち
 竹生(竹生町)は近くの片粕(片粕町)とともに、大昔から人が住みついた所である。昔の人は長尾山や、西裏、堂ヶ谷などの山の中腹に住んでいた。特に西側の西裏の所から土器の破片が水田の中から発見される。
 竹生の地名については、昔若狭国丹生の浦(現美浜町)から、神様が「鮹(たこ)」にのって当地へお下がりになったので「タコウ」と呼ぶようになったと言い、昔は鮹を食べなかったという伝説がある。
 また、竹が生い茂っていたので、「竹生」の地名が生れたともいわれ、タケフと呼ぶのを「タコウ」と訛ったとも言われている。


2.薬師宮(やくしぐう)の由来
 丹生神社は、むかしは薬師宮といっていて、薬師如来をお祭りしてある。今から千二百八十年ほど昔、泰澄大師が越知山奥の院で、一刀三礼して薬師如来をお彫りになられた。この尊像を竹生へお祭りになられ、氏神として村人の信仰をあつめていた。
 その後、竹生(竹生町)にはこの薬師宮の別当寺院(べっとうじいん)として、七寺院と二か寺の下寺合わせて九か寺が建っていた。しかし、天正二年一向一揆に焼かれてしまった。
 その頃、九か寺のあった所を「九坊田」といい、高十石、畑十八石が神田であった。
 それから二年後の天正四年に、清水尻の鎚噛(やりかみ)山城主村野源五郎景政の子景宗が、薬師宮を再建した。
 その後百九年目の貞享二年の頃、大雪のために社殿が倒壊した。そこで福井藩主にお願いして再建することができた。三月八日から二十八日まで十日間、落慶式を行い、薬師如来をはじめ、時国天(じこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・川上神宮の御開帳を行った。
 明治初年、薬師宮を「少彦根神社(すくなひこじんじゃ)」と改め、村社となった。また大正元年には丹生神社と社名を変えた。


3.川上神社と朱(しゅ)の神様
 御祭神は、「ニウズヒメ」即ち「水がね姫」といわれる。水がねは水銀のことで、水銀から古代の朱を採取する。朱は古代人の貴重な宝物で、朱は赤色の血の色であり生命の源である。古代人は死者の全身に、生命の源である血液に代る朱をぬると、永久に生命を保つという慣習が生れたと言われている。
 丹生(丹生郡)の「丹(に)」は朱のことで、朱の産地であったと言われている。
 竹生(竹生町)の丹生神社の社名は、この川上神社が朱を採る水銀(水かね)の神様「ニウズヒメ」を御祭神としているので、丹生神社の名がつけられた。
 なお、近くの片粕遺跡(グリーンハイツ4丁目付近)から朱ぬりの皿が出土し、風巻(風巻町)の塚の越古墳から、朱の入った包みが出たことなどから、付近に朱の産地があったものと思われる。
 また、竹生の吉田長兵衛家の後の赤土から、含有量の高い水銀が検出されている。


4.大乗院(だいじょういん)と修験道(しゅげんどう)
 竹生(竹生町)の南の猿が堂山に庚申塔(こうしんのとう)が建っている。この庚申様の石仏に「大乗院」という字が彫ってある。
 この大乗院は三留(三留町)気比神社の別当寺院(べっとうじいん)で、奈良興福寺(こうふくじ)の門跡(もんぜき)大乗院と関係があったのではなかろうか。
 また、猿が堂山の東には、修験道場があったと伝えられ、山伏(やまぶし)の修業の拠点として、紫燈大護摩(ごま)の修法(しゅほう)が行われたと思われる。なお薬師宮の由緒書の中に「竹生には、修験道別当寺院が、あちらこちら甍(いらか)をならべ建っていて、毎年三月十八日越知山、七月十八日大和の大峯山(おおみねさん)へ春秋二度の入峯(いりむね)をし、右両院で二年毎に年番に登山修験を積んだ」と書いてある。


5.猿が堂古墳
 八大竜王の祭ってある猿が堂山の頂上に、五基の円墳がある。一番大きいのは、直径九メートル高さ二メートルである。古墳時代後期の古墳である。なお丹生神社の上には、直径二十メートル余りの円墳があり、大昔の豪族の墳墓と思われる。


6.どて仏(ぶつ)さま
 村の中程に大きな地蔵堂が建っていて、村の者は、「どて仏」と呼んでいる。昔ここに法雲寺の道場があったので、道場仏と言っていたが、どて仏と訛ったたのではないかと言われている。承応二年・明暦三年など、今から三百三十年ほど前の地蔵さんが安置されてある。


7.検見坂(けみざか)
 竹生(竹生町)の長尾山の北側に、検見坂という道がある。この道は、江戸時代に稲の作柄を検査するため、役人を案内した道で「検見坂」と呼んでいた。毎年同じ道で検査して、前年と作柄を比較するのであるが、なるべく日当りの悪い北側を案内して、年貢を少なくしてもらうようにした。また高い所から田んぼを見ると、白穂(しらほ)が立っているのがよく見え、悪作に見えるので、竹生の検見道も、高い所の坂の上を通ったと言われている。


8.坂鳥山(さかとりやま)
 グリーンハイツの西側の、広域農道切り通しの峠に、鳥山と呼ばれる鴨猟(かもりょう)の猟場があった。
 江戸時代に福井藩では、鴨をとる坂鳥山を指定して、この場所に限って鳥をとってもよい制度を設けた。
 鳥の習性として、山と山の谷窪(たにくぼ)を越えて飛んでいくので「鳥越(とりごえ)」という地名が各地にあり、朝早く餌を求めて谷を渡っていくので、坂鳥といい、猟場を坂鳥山と呼ぶようになった。
 この鳥越の峠の脇で「ばんどり」という四方搦(がらみ)の網を投げて鳥を捕えるわけである。ここは竹生(竹生町)と片粕(片粕町)の谷境で狭くなっていたので鳥猟(ちょうりょう)に都合がよく、土手をけずって猟場がつくってあった。
 鳥猟はだれでもやれるわけではなく、鑑札を交付して運上銀(うんじょうぎん)(税金)を納めさせた。


9.周辺

  • 三留町、田尻栃谷町、片粕町、清水町、和田町、グリーンハイツ2丁目

10.参考文献など

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