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最終更新日:2009年5月25日

清水地域の和田町の伝承


しみずっペディア 和田町の伝承

※概ね原本「清水町のむかしばなし」のとおりのため、「である」調で記載しています。


清水東地区 和田町(わだちょう)


1.村のおいたち
和田(和田町)の村前一帯は、志津川が屈曲していて、昔から水害になやまされていた。大昔はこの辺は沼地で大木が茂っていたので、水田の下二メートル位の所に、周り四・五尺の大木が折れ重なって、泥炭化(でいたんか)しかかっているとのことである。
そのため、大昔は小谷山の高台や、本堂(本堂町)地籍の堂が谷などに住んでいたのではないかと思われる。
宝暦十一年、今から約二百二十年前の村明細帳に、堂が谷の田地三百十五石を出作している。これは三十町歩余りの水田を、和田の者が耕作していたことになり、この堂が谷に和田の者が住んでいたのではなかろうか。
この出村には、神社やお寺があって栄えていたが、天正年間織田信長の時代、一向一揆のために焼き払われ、村人たちは親村の和田へ帰ったので、戸数も九十一軒にふえた。
その後、この堂が谷の山だけ残して田地は売り払い、下天下村(下天下町)の北の方の田地と、竹生村(竹生町)の志津川べりの田地十町歩余りを買い取ったとの言い伝えがある。
なお、江戸時代には細坂で四十石、羽坂で五十石、末で五十石、更毛で五十五石も出作していた。堂が谷と合わせて、五百十五石も出作していたことは、村前の田んぼが毎年洪水で、ほとんど水腐れになって、米がとれなかったことを物語っている。
和田という地名は、アイヌ語で「葦(あし)の生えている所」という語源であるともいわれ、県内の和田という所は、湿地帯で奥まった所が多い。村ばなの下天下境に「さる屋」という地名があり、猿がたくさんすんでいたので「猿和田」といっていた。昭和三十年町村合併によって清水町(旧清水町)が誕生した時、「猿」の字をとって「和田」と改められた。


2.春日神社(かすがじんじゃ)
御祭神は、武甕槌尊(たけみかずちのみこと)・経津主命(くつぬしのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)の三柱の、御神像が祀ってある。このほかに秘仏元三大師(がんざいだいし)と十一面観音・地蔵菩薩・阿弥陀如来など四体の像が安置されてある。
昔の拝殿は茅葺(かやぶき)屋根で、三間半四方の大きな広間で、若連中の集会場としてつかわれていた。


3.庚申塔(こうしんのとう)
春日神社の西の方へ返えった山の中腹に、庚申塔が祭ってある。元禄十四年今から二百八十五年前の二月二日、猿和田(和田町)の田村伝兵衛という人が寄進した珍しい塔である。高さ一・二メートル余りの笏谷石(しゃくだんいし)に、青面金剛(しょうめんこんごう)という荒神様(あらがみさま)と、二匹の猿、二羽の鶏が彫ってあり、荒神様が天邪鬼(あまのじゃき)をふまえている。
この塔とよく似た塔が、近くの下天下(下天下町)・竹生(竹生町)にも安置してあり、やはり元禄年間に建てられた塔である。その当時、このあたりで庚申信仰が行われていたものと思われる。


4.専光寺・泉通寺道場
和田(和田町)の字坂元町の山裾に福井市下野(東下野町)の専光寺道場がある。この道場の上に地蔵堂が建っていて、小さい地蔵が何体も集められてある。
昔、この辺一帯の山裾に家があったものと思われる。
専光寺道場は上(かみ)の道場といい檀家(だんか)は十四軒である。
村の中央に、福井市若杉泉通寺の道場があり、檀家は十九軒で、下(しも)の道場と呼んでいる。


5.お灯籠畷(おとうろうなわて)
和田(和田町)の中町に天台宗の大きな寺院があった。飲み水を三百メートルも奥の山から引いたので、今でも一・五メートルほどの溝が残っている。寺の下の参道は、横山弥三平家の前から、村の入口まで続いていて、両側には何十本も大きな灯龍が、列をなして建っていたので、お灯龍畷と呼んでいた。字名に「おとろ」という地名があり、近年の土地改良の時、その灯籠の残片がたくさん出土した。


6.町という字名
和田(和田町)には「町」という字名が一か所に集中してつけられてある。和田から本堂(本堂町)へ通じる道の峠の下を坂下町・大谷町・大古谷(だいごたに)・南谷町・宮町・苗代(なわしろ)・坂元町・中町・下町・谷町と順に町の名がついている。このあたりに人家が密集していて、町がかった所であったと思われる。それぞれの地形にあった町名で、昔、天台宗寺院があった頃、お灯龍畷の上の方に栄えていた門前町の名残かもしれない。


7.木田庵寺の石塔
下天下(下天下町)の村端の高台にあった木田庵寺が、天正年間一向一揆の兵火にかかり、焼かれてしまった。この寺跡から多くの石塔の破片が出土した。この山の持主谷口彦右ェ門さんが、貴重な遺物として、和田の金比羅宮(こんぴらぐう)の西側にある自家の基地へ移した。宝篋印塔(ほうぎょういんとう)や五輪塔などの残欠である。


8.越知山参り道しるべ
元和田分校の前に、越知山大谷寺への「道しるべ」が立っていて「みぎおち道」と書いてある。
この道は、福井の御城下から清水尻(清水町)の渡しを通って、和田(和田町)・天下(上天下町、下天下町)・大森(大森町)・野口(笹谷町の一部)・大谷寺(越前町大谷寺)・越知山へと通ずる、最もにぎわった越知山参りの道であった。
昔は、越知山祭りや大谷寺のお開張(かいちょう)には、善男善女の列が続き、また年中越知山参りの信者が、道しるべを頼って道を急いだと言われている。
この道しるべは、和田分校廃止の後、近くの用水路の脇に移された。


9.堂の講とお講様(どのこうとおこうさま)
神社の前に一反半の神田があり「堂田(どうだ)」と言って、毎年年貢米を持高によって分配し、無高の者には一升を分けるようにしていた。そして、十二月九日の山祭りの日に、この米で御飯をたいて「ゴセン様」を盛って神様へお供えして、豊作を感謝し家内安全を祈願した。この風習もすたれて、近年は年貢も金で分配するようになり、昔からの美風もなくなった。
また、道場にはそれぞれお講様があって、男講(おおこう)・女講(あまこう)・若講の年令・性別のお講様が毎月行われていた。お講様には「お勤め」をあげて食事をして、そのあとお説教や座談をして、お互いに心の交流をはかっていた。しかし現在は、下の道場の男講だけになってしまった。


10.周辺

  • 上天下町、下天下町、竹生町、清水町、末町、本堂町、細坂町 

11.参考文献など

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