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最終更新日:2009年5月25日
清水地域の片粕町・グリーンハイツの伝承
しみずっペディア 片粕町・グリーンハイツの伝承
※概ね原本「清水町のむかしばなし」のとおりのため、「である」調で記載しています。
清水北地区 片粕町・グリーンハイツ(かたかすちょう・ぐりーんはいつ)
1.村のおいたち
昔から片粕(片粕町)はよく働く村であるといわれているが、その割に生活はあまり楽でなかった。それは東に日野川、北に志津川が流れ、その上低地で時どき川水が氾濫し作物がとれなかった。
古書には「難糟」とか「潟末」とか書いて「かたかす」と言った時代があった。しかし広大な田地を持ち、南面には丘陵地帯があって、水に恵まれ人間が住むのにはとても良い土地であった。
そのため最近この地から出土した縄文土器からも伺われるように、数千年の昔から人間がこの丘陵地帯に住みついていた。しかも数千年後の今日、再び新しく住宅団地(ぐりーんはいつ)が建設されるということは、誠に不思議なめぐり合わせともいうべきではなかろうか。
その後片粕住民は治山治水に努力し、特に日野川、志津川の改修に区民一丸となって努力した。そのため、片粕部落の様相が一変し、今日では清水町内(清水地域内)でも有数の耕地を持ち、然も福井市街に近接していて、めざましい発展をとげてきた。
2.片粕遺跡
昭和四十七年七月十三日、片粕(片粕町)地籍の住宅団地グリーンハイツ造成工事現場をブルドーザーで掘り起した折、偶然大量の土器が発見された。報告をうけた清水町(旧清水町)教育委員会では、早速県教委文化課と協議して、団地造成を請負う県住宅供給公社に工事の一時中止を求め、七月二十五日から八月十四日までの期間緊急発掘調査が行われた。
発掘作業は県文化課職員の指導のもとで、町教育委員会職員、町文化財保護委員、片粕区長、藤島高校生徒の協力を得て、連日炎天下順調に発掘調査が 行われた。
この発掘によって予想外の大量の土器、石器が出土し、また貴重な住居跡なども発見され、県下最大の縄文遺跡と呼ばれ、出土した数千個の土器片は、木箱に百数十ぱいにのぼり、一部は破片をつぎたし複元したが、残りの大部分はそのまま保管されている。
近い機会に復元すれば、裏日本最大の最も考古学的に価値の高い「縄文土器群」といえるわけである。
遺跡は現在の清水北小学校校門付近から北側一帯である。この尾根の上、三ヵ所から遺物がまとまって発見されている。
この地で多量の縄文式土器が発掘され、石器では石錐(せきすい)が最も多く、凹石(木の実などをすりつぶすもの)、石鏃(せきぞく 弓矢の先につけた尖った小さい三角形の石)、打製石斧(だせいせきふ)・磨製石斧(ませいいしおの)・石匙(小刀のようなもので動物の皮をはぐために使われだもの)等が出土した。
このほか特に貴重な出土品として、「ヒスイ製の玉」と「丹(に)ぬりの盤」が発見された。
これらの発掘出土した縄文土器の文様から判断して、縄文時代中期以降に製作された土器ではないかと推定され、紀元前二千五百年から三千年頃まででないかと思われる。
3.八幡神社
御祭神は応神天皇(譽田別尊(ほんだわけのみこと))で、今から約千百二十年前の貞観二年、清和天皇の時代にお祭りした。その後七百五十年後の永正七年に社殿が大風のために倒壊したので、当時朝倉家家臣の清水尻鎚噛城(やりがみじょう)村野景政が大檀那(おおだんな 再建の頭)となって、造営した。
4.大山御板神社(おおやまみたのじんじゃ)
「越前国名蹟考」という江戸時代の書物に「延喜式(えんぎしき)大山御板神社片糟(かたかす)に在り白山社と称す。蓋(けだ)し大山縁によりて云うか。素良按(あん)ずるに大山御板神社は、今立郡舟津神社に座(おわ)す神社考の説誤れり。」と書いてある。
このように大山御板神社の所在地については、片糟村と舟津村と二か所の説があり、名蹟考では丹生郡三富郷の片糟村白山杜であると説明している。
片粕(片粕町)は縄文時代から人が住みついて、早くから開けた所で、古代から集落があり神様を祭ったことに異論はないと思われる。
この平安時代延喜式神名(しんみょう)帳は、延喜五年(九〇五)に醍醐天皇(だいごてんのう)の命によって編集された全国の神社名簿で、丹生郡内では雷神社(賀茂神社)・剣神社・大山御板神社(片粕)の外四社が書かれてあり、古い神社であることがわかる。
5.五社神社
昔の記録には「五社宮」と書かれてあり、この五社の中に「白山神社」が含まれていて、現在の大鳥居の額には白山神社と書いてある。この白山神社が大山御板神社であり御祭神は 伊邪那美尊(いざなみのみこと)・火座霊尊(ほむすびのみこと)・武甕槌命(たけみかずちのみこと)の三柱である。
この三柱の外に八幡神ともう一柱の五柱の御祭神が祭られている。
また、岩淵にあった岩淵神社が、昭和三十四年頃日野川改修の時、片粕(片粕町)八幡神社へ移された。
6.藤神様(ふじがみさま)
片粕(片粕町)の北の山裾に大きな藤の木があり、その下に石仏が祭ってあり、藤神様と呼んでいた。
天文九年の銘があり、今から約四百五十年前の室町時代の石仏で、町内(清水地域内)で最も古い地蔵菩薩である。
現在は、八幡神社入口の十六羅漢堂(らかんどう)に安置されてある。
7.十六羅漢石仏(じゅうろくらかんせきぶつ)
むかし片粕(片粕町)に栄光寺という禅宗の寺があって、この寺に安置されていた十六羅漢石仏が残っている。
羅漢様という仏様は、釈迦如来の十六人のお弟子で釈迦の説法を聞いて修行をする聖者で、十六人または五百人を一群とし、十六羅漢・五百羅漢という。
その中で第一の賓頭慮尊者(びんずるそんじゃ)は万病をなおす法力をもつとされ、庶民に「なで仏様」として親しまれている。
以前は、八幡神社の後の羅漢堂に祭ってあったと言われているが、何時の時代にどこに禅宗のお寺があったのか、町内(清水地域内)で唯一の貴重な石仏である。
8.周辺
- 田尻栃谷町、朝宮町、竹生町、清水町、グリーンハイツ1から4・6・8丁目、 久喜津町
- 市指定文化財(史跡) 結城晴朝館跡
9.参考文献など
- 清水町のむかしばなし 昭和61年8月 旧清水町発行
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