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最終更新日:2025年11月29日
企画展「史料が語る福井藩と城下町」は令和8年2月2日まで開催中(郷土歴史博物館)

自在龍置物 伝明珍吉久作 越葵文庫 当館保管
企画展「史料が語る福井藩と城下町 」
本展では、過去に当館で開催された特別展や企画展、近年の史料調査によってわかってきた福井藩・松平家や城下町福井の歴史を、
特定のテーマを設けた上で、古文書や記録、絵図や絵画などの資料を展示して紹介します。
1 史料が語る福井藩・松平家
テーマ1 『武鑑』からわかる福井藩・松平家
『武鑑』は江戸で刊行された大名などの名鑑で、大名の姓名・官位・家紋・領知高・城地、家臣の姓名、江戸城での控の間(殿席)、江戸屋敷の場所、行列に立てる槍の形状、将軍家(幕府)への献上物、江戸への参勤年など様々な情報が記載されています。展示した関連史料からは、武鑑の情報が正しいことがわかります。
テーマ2 史料からわかる福井藩の収入と財政窮乏
福井藩の収入の大部分は収穫された年貢米が占めていました。領内の村々は藩が出した免状に記載された年貢率に従って決められた量の年貢米を納入する義務がありました。しかし、年貢米に頼る藩財政は17世紀の後半には窮乏しており、城下の豪商・金屋家や慶松家、京都を代表する大名貸・両替善五郎から多額の借銀をしていました。
テーマ3 名品に見る御用職人たちの技
江戸時代の幕開けと同時に始まった北庄(福井)城下町の建設とともに、すぐれた技術を持った職人も城下に集まり、藩主である越前松平家やその重臣たちがパトロンとなることで、多くの名作・名品が生み出されました。当館にも城下の名工の手になる作品が越前松平家伝来品として数多く収蔵されています。
2 史料が語る城下町福井
テーマ4 史料に見る「北庄」から「福居」、「福井」への改称
慶長5年(1600)に越前国68万石を徳川家康から拝領した福井藩祖・結城秀康(家康次男)は、翌年から「北庄城」の大改修を始めました。ところが、寛永元年(1624)に秀康の次男で、越後高田藩主であった松平忠昌が3代藩主として越前へ入封すると、「北庄」の地名を「福居庄」と改めます。さらに元禄14年(1701)に福井藩は、幕府へ国絵図を提出する際に「福居庄」を「福井庄」と改称しています。なお、「福居」や「福井」は「庄」が省略された地名です。
テーマ5 史料に見る九十九橋と足羽河原の伝承
足羽川に架かる九十九橋(大橋)は、戦国大名・朝倉氏の時代には存在し、北庄城主・柴田勝家の時代に半石半木になったとされます。福井城下の正月行事「馬威し」の由来書には、勝家は江戸時代にあった九十九橋よりも川下に新しく橋を架けたこと、橋が架かる足羽川南岸の河原は、江戸時代の途中から桃樹が植えられたことなどの逸話が載っています。なぜ川下に橋を架けたという説が出てきたのか、桃林となる前の河原の状況など、史料から検証します。
テーマ6 史料からわかる城下の人口、物価と食生活
江戸時代の福井城下には武士と町人(商人・職人)が住んでいました。城下の人口は町方人口(寺社の人口を含む)が知られていて、武家人口はあまり記録がありませんが、18世紀後半には、町方と武家を合わせ3万人を超えていたとみられます。幕末の城下では米をはじめとする様々な商品が売買されていて、特に米の値段が高騰していました。日常の食事は幕末期の藩主松平春嶽でも、一汁一菜、香の物(漬物)が基本であり、特に城下では副食となる膨大な数の大根や蕪が漬物などに仕込まれて消費されていました。
会期
令和7年11月29日(土)〜令和8年2月2日(月)9時~17時(入館は16時30分まで)
※年末年始と1月19日(月)、20日(火)は休館日
会場
松平家史料展示室
観覧料
一般 220 円
70 歳以上、中学生以下、障がい者手帳をお持ちの方とその介助者は無料
ギャラリートーク(展示解説)
日時
12/13(土)、1/18(日) 11:00~11:30
会場
松平家史料展示室
※展示室入場には平常展示観覧券が必要です。
見どころ講座
日時
1/11(日) 11:00~12:00
会場
講堂
※当日先着順、参加費100円
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お問い合わせ先
商工労働部観光文化スポーツ局 郷土歴史博物館
電話番号 0776-21-0489 | ファクス番号 0776-21-1489
〒910-0004 福井市宝永3丁目12-1 【GoogleMap】
業務時間 午前9時~午後7時
(ただし11月6日から2月末日までは午後5時で閉館)
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