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最終更新日:2012年4月1日
【おさごえ民家園】旧岡本家住宅と昔の暮らしの特色
旧岡本家住宅の特徴
今から約250年前、江戸中期に若狭町有田に建てられた家です。
民家園内では唯一の若狭地方から移築された古民家です。
若狭地方は越前地方に比べ雪が少ないため、柱が細く軒も低くなっています。また、屋根の輪かくは、嶺北地方とは異なり直線的で棟の頂も丸みを持っていません。
おおにわ、 なかのま
入り口から入ってすぐの土間を「おおにわ」といい、屋内作業の場所でした。収穫してきた籾米を玄米と籾がらに分ける籾すり作業は、「おおにわ」で行い、玄米を俵詰めにする作業は、奥の「なかのま」で行いました。なお「なかのま」は、普段は板敷きですが、行事を行うときは、畳を敷いて「ざしき」に通すお客さんのための控え部屋として使われました。
いろり
いろり廻りの座る場所について
岡本家もいろり廻りの座る場所は、厳しく決められていました。ただ座る場所の呼び名が他の古民家と違っていました。
神棚側をヨコザと言い、一家の主人であるお父さんが座りました。ヨコザの右側をカカザと言いお母さんが、ヨコザの正面をキジリと言いおじいさんとおばあさんが、ヨコザの左側をシモザと言い子どもが座りました。
丑梁(うしはり)について
「いろり」の上の丑梁には、茅の箸が連なって巻かれています。これは、家が新築され住み始めの日に行う家移りの行事に伴うものです。
小浜市下根来(しもねごり)では家移りの日、大豆3個、小豆3個、小石3個入りのお粥を作り親戚や村人を招いて食事をし、その後茅の箸を連(れん)にして丑梁に巻くという建築儀礼が昭和20年頃まで残っていました。
現在、この古民家の丑梁に巻いてある茅の箸は、民家園の開園式に伴い行事を再現した折に用いられたものです。
たなもとのにわ
岡本家には「にわ」が2箇所あり、その一つが「だいどころ」から下がったところにある「たなもとのにわ」と呼ばれる土間です。その「にわ」には、「かまど」が2基と「ながし」があります。若狭地方では、「かまど」で米を炊くなど「いろり」と併用して煮炊きを行っていました。
かまどについて
この岡本家には、「かまど」があります。「かまど」でご飯を炊き、「いろり」の中にある五徳に鍋を掛けておつゆなどを煮ていました。このように、嶺南(れいなん)地方では、「かまど」が早く普及しました。
ざしき
岡本家の「ざしき」は畳が6畳の部屋です。お役人など大切なお客さんとの話しあう部屋でした。
また「ざしき」は、結婚式や葬式の後の会食を行う時、隣の「なかのま」に畳を敷いてともに使いました。
神棚と仏壇について
若狭町周辺では、浄土真宗以外の家が多く、嶺北地方と違って仏壇は小さく「ざしき」の床の間の横にあり、神棚は「だいどころ」にありました。それは、この地方では神と仏の両方を信仰していたからです。また岡本家では、仏法の行事を行う専用の部屋「ぶつま」は設けてありません。
*参考:嶺北地方の民家では、浄土真宗の家が多く立派な仏壇や仏法の話を聞く専用の部屋「ぶつま」があります。また、阿弥陀仏という仏様しか拝まなかった為に神棚は置いてありません。
さんじょう、なんど
「ざしき」と「うまや」の間の部屋を「さんじょう」と言います。一家の主人と奥さんが寝起きする部屋でした。
「ものおき」の隣の部屋を「なんど」と言い、おじいさんとおばあさんの隠居部屋でした。若狭町周辺では、家の中に隠居部屋を作り、おじいさんやおばあさんと親密にしていました。
土蔵と灰小屋
土蔵には、米やあまり使わなくなった家具を収納していました。灰小屋は、「かまど」や「いろり」で火を焚くことで出来た灰を保管し、田畑の肥料にしました。なお、土蔵も灰小屋も土で出来ており燃えにくい構造になっています。
お問い合わせ先
教育委員会事務局 おさごえ民家園
電話番号 0776-34-3794 | ファクス番号 0776-34-3794
〒918-8011 福井市月見5丁目4番48号 【GoogleMap】
業務時間 8時30分から17時15分
【開園時間】9時から17時15分(入園は16時45分まで)
【休館日】月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(但し、翌日が土・日曜日の場合は開園)、年末年始(12月28日から1月4日)
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